前回の記事で、入院するときに持っていると便利なものや着替えなどについてお話しました。
今回は波乱万丈だった私の入院生活についてお話したいと思います。
前回の記事はこちら↓
みなさんこんな感じの入院生活送ってるのでしょうか?
入院前の準備
入院前の検査
産婦人科の先生から子宮全摘をすすめられその場でOKした私。
そのまま入院前の検査に直行しました。
手術を受けるので何から何まで調べるとのことでした。
検査の窓口で渡された試験管みたいなもの(スピッツというらしい)は6、7本くらいあったと思います。
(小さな袋にジャラジャラ入ってた)
容器の多さにおののきながらそれを持って採血のお部屋に。
ガンガン血を抜かれました。
私、貧血なんですけど。(T_T)
気持ち的には一滴でも大事にしたいんですよ。
貧血です
検査の結果、ヘモグロビンが10しかない。
これでは手術はできない。
先生は「手術までに何とか12まで上げたい」とおっしゃいました。
入院までの間(2週間くらいだったと思う)鉄分の注射に通うことになりました。
注射と、さらに錠剤も飲めのこと。
「バフをガンガン積んで、さらにチートするんですね。分かりました」と思った私はゲーム脳。
入院予定日までに無事にヘモグロビン12を超えることができました。
これで手術も安心です。
あとは人間ドックと同じような検査を受けました。
家のこと
たった8日間留守にするだけですがそれでもいろいろとやることはありました。
家族が困らないように、キッチンのあちこちにテプラでシールをつくって貼りました。
収納してるものがすぐ分かるように。
調味料、調理器具、ゴミ袋など絶対につかうものだけですが、好評でした。
あと冷蔵庫も極力片付けました。
外回りもかんたんに掃除。
あと隣の奥さんにだけ入院のことを伝えました。
万が一連絡がつかないって騒ぎになると困るからね。
入院初日から手術前
病室に案内され、パジャマに着替えたら「入院計画書」を渡されていろいろと説明されます。
「手術同意書」なんかもここで渡されます。
この書類がすごく多い。
輸血の同意書とか麻酔の説明などたくさん署名しました。
2日目が手術。
1日目はここの生活に慣れてもらうとのこと。
昼食のあと除毛、それからお風呂。
夕食のあとは絶食になりました。
ちなみに同室に私を入れて3人で、子宮筋腫の切除の方と私と同じ子宮全摘の方でした。
空き時間で荷物の整理。
手術の後困らないように手元に置いておきたいものを小さいバッグにまとめていれておきました。
あと看護師さんが出しやすいように着替えを一回分ごとに分けてロッカーの手前の方にまとめておきました。
病室に落ち着いたあたりからずっと聞こえていたのですがちょっと離れたところから若い女性の声がするんです。
「おかあさ~~~~ん・・・おかあさ~~~~~~んたすけてえええぇぇぇぇ」
「ちょっとおおおぉぉなんでこんなにいたいのおおおぉぉぉ」
「〇ろすぞどけろオラァァア」
「あsdfjkl;!!!!」
昼間はあちこち騒がしいしそんなに気にならなかったんです。
しかし夜になると
「おばあちゃ~~~~ん、おばあちゃ~~~~~ん」
「なんなんだよ~~~やめろ~~~~〇ろしてやる~~~~」
「おねえちゃ~~~~ん、たぁすぅけぇてぇぇぇぇ~~~~」
一晩中こんな感じ。
ホラーですか?
でもだんだん呼ぶ家族が変わっていくので、つぎは誰になるんだろうっておもしろくなってきて。
ちょっと笑ってました。
ハードな初日の夜でした。
手術当日
午後から手術なので午前中にお風呂です。
前日に渡された、肺塞栓予防の弾性ソックスを履きます。
これがきついのなんのって。
両足履くだけでちょっと汗かきました。
浣腸もたしかこのタイミングだったと・・・。
手術着に着替えてから点滴のルートを確保。
(手術着はひざ丈、下は真っ裸です。廊下を歩く時ものすごく手術着の裾が気になった)
血管がたいそう分かりにくかったらしく
看護師さんがかなり悩んだ末、覚悟を決めたようにながーい針を刺されました。
「めちゃくちゃ痛いから叫んでもいいけど絶対に動かさないでください!!!」
と言われましたがそれほどは痛くなかったです。
そりゃ痛くないわけじゃないけど。
何年か前、変な虫に刺されて足がパンパンに腫れあがったことがありまして。
外科のお医者さんに刺された箇所をピンセットでぐりぐりっとされたんです。
あれは本当に痛かった。
「声が出ないほどの痛さ」だったんで。
「声も出さないなんて我慢強いですね!」って言われましたけど、いや、もっと痛い思いをしたことがあるだけなんですよ。
そういえば出産のときも分娩台直前まで廊下でウロウロ歩いてました。
そしたら先生が「その状態でまだ歩けるの!?」って。
いや、高校の時に6時間で30キロ踏破(山道含む)した時のほうがよほどきつかったですよ。
未だにあれより苦しい経験はないです。
「痛み・苦しみ」がそれまでの経験を上回るたびに、それよりましなものは割と平気になるんです。
「それはおかしい」と友人に言われました。
私だけかな?
最初の方の子宮筋腫の手術が終わり次が私の番です。
点滴と一緒に手術室まで歩きます。
家族全員に「がんばれ~!」と言われながら入室。
なんか今から戦地にでもいくみたいだからやめてほしかった、他の人もいたのに(-_-;)
がんばるのは私ではなく先生では。
何回も何回も名前と手首のタグを確認され、手術台の上で硬膜外麻酔をされます。
それから「全身麻酔のお薬が出ますよ~」と言われました。
ここで「ちょっと抗ってみよう」と思った私はかっと目を開けていました。
でも「目閉じてくださいね~」と言われ目を閉じた瞬間撃沈しました。
薬の力ってすごい。
あとのことはわからないです。
名前を呼ばれて目が覚めたら全部終わってました。
その時にはショーツ履いててパジャマを着せられてる最中でした。
その後、手術室から私のベッドで部屋まで運ばれるのですが、秒で吐きそうになりました。
天井しか見えないのでもう「車酔い勢」には最悪の状況です。
進行方向を見たかったのですがお腹が痛くて首も起こせず。
あれは痛みよりきつかった・・・。
病室が比較的近くで助かりました。
あとはとにかく痛かったので家族とちょっと話した後ずっと寝てました。
寝たらタイムスリップ!みたいなものです。
出血が少なかったので輸血は必要なかったと後で言われました。
手術から1日後
次の日も寝たり起きたり。
看護師さんが定期的に見に来てくれます。
「痛みが我慢できなかったらこのボタンを押してください」とナースコールの小さいやつみたいなのを握らせてくれてたんです。
追加の痛み止めが出るスイッチです。
で、やっぱ痛いから押しますよね。
押してもいいって言うんだから。
そしたらものすごいめまいがはじまりました。
痛みはたしかに緩和されるのですが。
横になってるのにめまいがするっていう初めての体験。
それからはもうボタンは押しませんでした。
私には合わなかったんでしょう。
あとは血栓予防のために定期的に足を動かします。
どうせ他に何もできないんでね、こればっかりやってました。
内視鏡で子宮筋腫の手術をした女性の方は朝食の後、帰っていきました。
やっぱり内視鏡は楽そうですね。
見回りの看護師さん、たのむから顔に直接光をあてるのやめてもらっていいですか・・・。
生存確認なのは分かるのですが、あれはほんとにきつい。
手術から2日後
なんとか自力で歩くことができたのでトイレで尿管を抜いてもらいました。
食事はおかゆと具のないスープだったと思います。
癒着しないようにできるだけ動くようにと言われました。
どんな動きをしても腹筋ってつかってるんですね。
腹筋、いつもありがとう。
よろよろしながらトイレと病室を往復して一日が終わりました。
トイレがね、病室から遠いんです。
片道20mくらいあったかな。
もっと近いところにたくさん設置してほしい。
手術から3日目
麻酔の袋、落とした!
トイレに行くときには移動用の点滴スタンドに硬膜外麻酔の袋をかけて出発。
(点滴はどうだったか・・・忘れてしまいました。
その時にはなかったような気がします)
戻ったらベッドの上に置いておくようになってました。
事件はトイレから戻ったとき起こりました。
袋を落としてしまったのです。
「パキッ」といやな音がしました。
慌てて拾い上げてスタンドに吊るしました。
それが11時過ぎくらいのこと。
昼食を食べ終わるくらいにふと「足の感覚がない」ことに気付きました。
なんと立つことができなくなってた!(◎_◎;)
どう考えてもさっきのアクシデントのせいです。
すぐにナースコールで看護師さんを呼んでかくかくしかじか。
入れ替わりに看護師長さんが飛んできてまたかくかくしかじか。
私、平謝り。
でも誰も私の謝罪なんて聞いてないようでした。
それどころではなさそうな感じ。
急遽、麻酔科の先生にきてもらって硬膜外麻酔をはずしてもらいました。
お騒がせして申し訳ないです・・・。
頭が痛い!
で、それからなんですよ、大変だったのは!!
硬膜外麻酔をはずして4時間くらいたったころ、座ったり立ったりすると猛烈に頭痛がするようになりました。
「低髄液圧性頭痛」というものだそうです。
(主治医の先生もとくに何もいわなかったので自分で調べました)
硬膜外麻酔をするときに腰椎に針を刺します。
で、針を抜くとそこには穴が開いてます。
腰椎より頭を高くするとそこから髄液が漏れちゃう。
それにより脳底部の髄膜が延ばされちゃって痛みがでるというしくみらしいです。
とにかく水分を取れと書いてあったので、それからはずっと水をガバガバ飲んでました。
私の後に手術した向かいのベッドの女性も同じことになっていて、車椅子でトイレに連れていってもらってました。
でも車椅子でも頭が高くなるのにかわりないので痛いのは同じ。
必要なのはストレッチャーですよ。
私は意地でも自力で歩いてました。
食事も少し食べてはまた横になっての繰り返し。
めんどうなことこの上ない。
4日目
アラレちゃんのスッパマンを思い出す全国の女児たち#precure pic.twitter.com/EdEC7KZ3xb
— オハコ (@ohako18ban) May 15, 2021
切実に欲しかったのはこれ↑
これなら頭が高くならない。
でも廊下でこれやったら絶対怒られるよね?
トイレが遠すぎてほんとに頭が痛かった記憶しかないです。
お風呂も許可が出たので入りましたが頭が痛すぎて大変でした。
病院の売店でおやつ買ったりしたかったのに!
この時にはお腹の傷なんかどうでもよくなってました。
しかしお腹の腫れ具合にはびっくり!
完全に妊婦さん状態でした。
母もびっくりして前から見たり横から見たり。
傷はテープで止めてあります。
糸は勝手になくなるそうで。
主人と子供は見るのも勘弁らしく逃げていきました(笑)
この日から普通食にもどりました。
でも頭痛のせいであまり食べられませんでした。
(痛い話。閲覧注意かもしれません)
この日の夜、となりの空きベッドにおばあさんが入りました。
どうやら火傷して救急車で運ばれたようでした。
すぐにその場で処置がはじまり履いていたズボンをハサミで切り水でバシャバシャやってました。
(もちろん見えないので会話から想像)
おばあさんの「ヒィィィィ・・・・」「いたい・・・・いたいぃぃぃ」
先生の「痛いと思うけどごめんね~我慢してね~」
というのが2時間ほど続きました。
なぜだかバイオハザードを連想しました。
説明では、おばあさんの火傷は数日経過しており糖尿病の影響で治りにくくなっていると。
新しい皮膚ができにくい状態なんですね。
どうやら火傷の上になにか貼りつけて保護しているようで、その後も交換のたびにおばあさんの悲鳴が・・・。
糖尿病にはほんとうに気をつけようと思った深夜1時でした。
5日目
食事もまともに食べられないし、トイレに行くにも頭痛との我慢比べ。
ストレスがたまった私は母に頼んでプリンを買ってきてもらいました。
頭を高くすると痛いのならどこよりも頭を低くすればいい!!
私はしっかりとカーテンをひいて中が見えないようにしてもらい
四つん這いで肘をついてプリンを食べ始めました。
・・・食べにくかったけど何とか完食できました!
ちなみにその姿勢でも頭痛はちょっとありました。
母は呆れ半分笑い半分でそんな私を見ていました。
ほんとに痛いんですけど!
お昼過ぎに手術のときに担当してくれた麻酔医さんがやってきました。
とっても言いにくそうに頭痛の症状の説明と対処法を話してくださいました。
もごもごしてたけど要するに「失敗してしまった」ということでした。(^▽^;)
ほんとうに申し訳ないとおっしゃってくださり、私も責める気はないので少し雑談して終わりました。
おばあさんは救急車で来たので(あたりまえだけど)着替えも何もないようでした。
朝、看護師さんに「早めに着替えや荷物を持ってきてもらってね」と言われてましたが、昼が過ぎても誰もやってこない。
娘さんっぽい方が午後からやってきたけれど足りないものが多数あったようで、看護師さんに追加で説明されてました。
娘さんがかえってしまってそれ以降は誰もきません。
おばあさんはトイレすらも許可がでていません。
つまり自分では何もできないのです。
本も雑誌もテレビも見られない。
次の日に旦那さんっぽい方がきたけど「家のことは心配ない」などと10分ほど話して帰ってしまいした。
おばあさんが小さな声で「テレビのカードがね、デイルームに・・・」というと遮って別の話をする旦那さん。
娘さんも「私も暇じゃないのよ!!」と言ってすぐに帰ってしまう。
やっぱり何もすることがないおばあさん。
それからも何人か人は来ましたが、誰もおばあさんの世話をしようとは思ってないように感じました。
もう私が1000円だしてテレビカード買ってあげようかとさえ思いました。
なんだか「家族との関係」というものを深く考えさせられる出来事でした。
入院した家族にそんな仕打ちをするなんて私には考えられませんが、いろいろな家庭の事情があるんですよね・・・。
私が退院するまでおばあさんのベッドからは何の物音も聞こえませんでした。
6日目
頭痛が徐々におさまってきて私も元気がでてきました。
向かいのベッドの女性も頭痛がおさまったらしく少しお話しました。
売店や違う階の自動販売機に行ったり本を読んだり。
もうひとつ空いていたベッドにおばあさん(たぶん90はゆうに過ぎている)が入ってきました。
どうやら施設から直接運ばれてきたようでした。
ナースコールのシステムが理解できないようで
「かぁんごぉふさぁ~~ん」
「いえにかえりたい・・・」
看護師さん「ちょっといまお家にはかえれんのよ~~調子が悪いやろ~?」
「べんじょにいきたい~~」
ずっとこの繰り返し。
便がでなくなったと話していました。
また眠れない夜の始まりです。
7日目
またアクシデント
朝から内診があり、病棟の診察室で診てもらうことになっていました。
妊婦さんにはおなじみの内診台。
まず内診台に横になってそれから台が上がり始めます。
この内診台は足先がぶらーんとなるタイプではなく足置きがついてました。
そしてすぐ横に超音波の機械がおいてありまして。
その機械の机部分とあがってきた私の右足の親指がちょうど挟まったんですよ。
首を上げて見ると親指を支点にして機械がかたむき始めます。
看護師さんは他の作業をしています。
痛かったので私も足をひっこめると同時に「機械が倒れる!」と看護師さんに言いました。
同時に看護師さんも事態に気付いて、倒れそうになった機械をおさえました。
「だっ、だいじょうぶですか!?」と言われましたが、痛かったけど大したことはなさそうなので「痛いけどたぶん平気です」とそのまま内診を受けて病室へ戻りました。
しばらくして看護師長さんとさっきの看護師さんが謝罪にみえました。
まだちょっと痛かったので「湿布だけもらえたらもういいですから」と言って湿布をもらい終わりました。
母は不服そうでしたけど。
ほんとうに最後まで平和に終わらなかったですね。
おばあさんは一日中看護師さんを呼んでいます。
必要で呼んでいるのか分からないのでしばらくは何もしませんでしたが、もしかしたらほんとうにトイレに行きたいのかもしれません。
何回かナースコールを代わりに押してあげました。
汚いお話になりますが。
おばあさんは朝、浣腸していたのですがちょうど昼食前にもよおしたらしく私は昼食がほとんど食べられませんでした・・・。
悲しかった・・・。
昼食を持ってデイルームに移動することも考えましたが、この痛いお腹でトレイを持って歩くのが不安だったので断念。
その後、おばあさんは夕食前にナースステーションのすぐ前の個室(たぶん初日に若い女性が叫んでた部屋)にうつされていきました。
やれやれ、やっと静かになった・・・。
8日目
この日は特に問題もなく過ごしました。
外来の産婦人科まで診察にいき退院の許可をもらいました。
「次は2週間後に一度来てください」とのこと。
火傷のおばあさんはまるでそこにいないかのように静かだし、施設から来たおばあさんも個室に移動したし。
病院の前で焼き芋を売っていて母が買ってきてくれたので屋上でいっしょに食べました。
頭痛もすっきりとなくなり、お腹は痛いですが歩くのもだいぶしっかりしてきました。
次の日は退院なので荷物の整理をしていらないものを持って帰ってもらったり忙しかったです。
退院の日
朝の検温が終わったら着替えて荷物をまとめ、ナースステーションでお礼を言って帰りました。
支払いはまた後日ということでした。
履いてきたデニムが上まで上がらず半ケツで、いまにもずり落ちそうだったので早々に帰宅。
上がワンピースで隠せたので幸運でした。
いつものようにスタスタ歩いていたらきっとずり落ちていたでしょう。
退院後はやはり体力が落ちていてつらかったです。
ボトムスがほとんど合わなくなっていたので服を買いにショッピングセンターに出かけたのですが・・・。
少し歩いては休憩、また歩いては座り・・・という感じになってました。
いくらトイレが遠くてもやはり運動量が減ってるんですよね。
日々の家事なんかもちゃんと運動になってるんだ、と痛感しました。
細かいところまで気を配ってくれた先生と看護師さん達。
家族にもほんとうにお世話になりました。
ありがとう。
ひとりだったらいろいろと困ったこともあっただろうと思いました。
病院ではお肉が出なかったので、帰りにケンタッキーフライドチキンでチキンをたくさん買って帰りました。
やっぱり病院食って満足感が足りなくて。
ひさしぶりのフライドチキンはとてもおいしかったです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
はじめての入院。
いろいろと想定外のイベントが起こったりしましたが、それも含めて楽しむように心掛けて過ごしました。
何でもネガティブにとらえると自分も周りもネガティブになってしまいますし。
みなさんにも参考になるところがあればうれしく思います。
だいぶ以前の話なので忘れてしまったこともありますが、なにか質問などありましたらコメント欄に書いていただけると分かる範囲でお答えします。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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